2010年12月21日火曜日

「変革者であり続けたい」 株式会社ウォーターデザイン 代表取締役/コンセプター 坂井直樹さん


社会こそ僕のステージ

株式会社ウォーターデザイン 代表取締役/コンセプター

慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科教授

坂井直樹さん

デザインに対する熱いパッションと、社会を変えることへの強い意欲。その根底にあるのは、“変革の時代”と言われた1960年代に過ごした思春期の日々かもしれない。アントレプレナーシップを胸に世界のダイナミズムに挑戦し続ける64歳のコンセプターが追うものは。

(インタビュー、文:玉懸光枝)


リスクを恐れるな

新幹線が開通し、東京オリンピックが開かれ、アポロ11号が人類で初めて月に着陸した一方、安保闘争や学園紛争も相次いだ60年代。社会が大きく変わろうとしていた中、デザイン界では「挿絵師」の代わりに「イラストレーター」、「図案師」の代わりに「グラフィックデザイナー」という名前が生まれ、圧倒的な存在感を放つ横尾忠則のアートが脚光を浴びるようになっていた。関西の進学校に通い、周りの同級生と同じように「京大に進学するんだろう」とぼんやり思っていたはずの坂井青年がふと気付くと京都芸術大学に進学しデザインを専攻していた背景にも、5歳から油絵を習っていたことに加え、この時代に溢れていた不可思議なパワーが少なからず影響していたに違いない。

この時代、「ヒッピー」と呼ばれる人々も一躍注目を集めた。伝統・制度など既成の価値観に縛られた社会生活を否定し、男女同権やエコロジーを声高に主張する彼らの文化が、パソコン革命を生み出すきっかけになったという説もある。こうした「先鋭的な思想を持つ活動集団」に魅せられた坂井青年は、せっかく入った大学を1年半で辞めて単身渡米。数カ月後にはヒッピーたちと会社(Tatoo Company)を立ち上げて刺青プリントTシャツを売って大当たりさせた。4年後に帰国してからも、バイクカーの先駆けとなった日産自動車の「Be-1」をはじめ、MOMAの企画展で永久保存となったカメラ「O-Product」、携帯電話auのコンセプトモデルなど、注目作品を次々と世に送り出し話題をさらい続けた。


(株)ウォーターデザイン提供

(株)ウォーターデザイン提供


そんな経歴の持ち主だからこそ、坂井さんは、あれこれ先回りして考えを巡らしリスクを最小化することばかり考えている今の若者たちのことを危惧している。「賢く振舞おうとしているのだろうけれど、実は、思考に頼れば頼るほど堂々巡りになって踏み出せなくなるものだ」と考えているからだ。まして、世界は常に変化し続けており、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛された日本も、今日、世界の中で相対的な地位が著しく低下している。「こんな“滅びゆく国家”にいて、リスクを取らないことは絶対にあり得ない」と坂井さんは手厳しい。

そんな坂井さんは現在、大学教授という顔も持っている。普段は5人の研究員が交代で授業を行っており、折にふれて外部から講師も招いている。最近では歌手の一青窈さんにラブ・レターの添削授業をしてもらった。「いつ・誰に・何を依頼し講義をプロデュースしているかを考え、僕のメッセージを理解してほしい」のだと言う。学生たちに教えたいのは「多様性」だ。彼らの多くは広告業界への就職を夢見ている。しかし、アート、Web、サービス業、そして最近注目されているBOPBase of the Pyramid)など、デザインの裾野が急速に広がっている今日、一見無関係に思われるコピーライティングや作詞の能力も広告業界では欠かせない。「そうした多様性を引き受けられる人間を育てたい」というのが、同氏の願いだ。

インスピレーションを信じて

坂井さんがもう一つ重視していることがある。それは「実体験」だ。アパレルもプロダクトも体系的にデザインを習ったことがない代わり、洋服をばらしてもう一度縫い上げてみたり、自動車を1台解体して組み立て直すことによって構造を学んできた坂井さんにとって、「身体で覚えたからこそ湧き出るインスピレーション」は何より大切だ。「このインスピレーションこそ、実はあの坂本龍馬が世の中を変えることができた理由にも通じていると思うんです」と坂井さんは語る。実は、龍馬が実際に活躍したのはわずか5年ほどに過ぎない。当然、豊富な経験を積んでいたわけではないし、身分も低かった。それでも、他の人々の目には「日本の危機」としか映らなかった黒船に、龍馬は唯一、グローバル化の可能性を直観的に見抜いたのである。実際、彼が直観した通り、黒船にも積まれていた蒸気機関が1700年代半ばに開発されたことによって、世界は一変し、大量輸送時代へと突入していった。

坂井さんは、「これまで100年ごとに社会構造の大きな転換が起きている」という話をしばしば引用する。龍馬も見た蒸気機関がその1回目だとすると、2回目の転換は1800年代半ばの動力革命だと坂井氏は言う。内燃機関の開発によって道路網や高速道路が張り巡らされ、人々の移動は自動車中心になった。3回目の転換はデジタル情報革命。1970年代にインテルが世界初の情報機関を発表しインターネットが急速に普及したことで、ネットワーク上でさまざまなサービスが生まれた。そして今、4回目の産業革命が起きているという。環境エネルギー革命である。「新たなエネルギーこそ社会を変える」と確信する坂井さんは現在、電気飛行機と電気自動車の開発に取り組んでいる。近々、中国とシンガポールで具体的なプロジェクトも誕生する見込みだ。蒸気船に未来を見た龍馬のように、坂井さんの目にはすでに電気エネルギー社会が広がっている。

9月のコペルニクのファンドレイジングパーティーで中村代表とのトークショーに臨んだ坂井さん。コペルニクについてはどのような印象を持ったのだろうか。「Qドラムはいい商品だよね」と言った後で、「でも、もし僕がやるなら、テクノロジーだけでなくビジネスシステムも一緒に現地に持ち込みたいね」と坂井さん。「例えばスニーカーの底だけ外から持ち込み、現地のクロスを付けて販売する仕組みを立ち上げるというように、マネジメントやビジネスの仕組みも提供してあげられるといいね」というアイデアも披露してくれた。さらに坂井さんは、日本という国家に対しても日ごろから思っていることがある。「明治維新では無血革命に成功し、太平洋戦争で壊滅状態に陥ってから世界第2位の経済大国に上り詰めた日本人は、社会の変え方を知っている民族。得たものや失ったものを含め、その経験こそ他の国に伝えていくべきではないか」。

インタビューに答える坂井さん

「社会の変え方を知る民族」とは、なんとも勇気付けられる言葉ではないか。一人一人がリスクを恐れ萎縮することなく、インスピレーションを信じ社会をステージに思いののままに活躍すれば、世の中はきっと変えられる。そんなエールを感じた。

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