2010年12月28日火曜日

裏庭で日本ポリグル浄水剤をテスト

新たにコペルニクが普及を支援するテクノロジーに加わったのが、日本ポリグルの浄水剤。会長の小田様には、See-Dコンテストなどで、非常にお世話になっている。

さて、これを機にコペルニク、アドバイザーのまりさんが、ポリグルのサンプルオーストラリアまで送ってくれた。早速試してみようと、裏庭で実験。

使う水は、これ(↓)。なぜか、雨水が溜まりに溜まって、かつ長い間放置されている大きな壺を裏庭に発見。これはうってつけ。


これを、透明の容器ですくってみる。緑に濁っている。良く見ると、オタマジャクシまでいる。よくこれほど放置していたものだ。


コップでみるとこんな感じ。濁っているのが分かるだろうか。


10グラムで100リットルの水を浄化出来るので、この分量には、本当に少しの粉で十分。

しばらくかき混ぜると、不純物が固まってくる。↓の写真は約3分ほど立った時。

4分くらいでこんな感じ。

5分ほど。


ここで、布で濾す。
すでに不純物が下に沈殿しているので、少しだけが、布に引っかかった。


さて、右のグラスが濾した後の水。透明。

こんな感じ。



実は、もうひとつ、日本の会社から、新しい水の浄水テクノロジーのサンプルが届いている。これも数日後にテストをする予定。

2010年12月27日月曜日

Global Cycle Solutions

東ティモールにいるコペルニクフェローのマイケルは、MIT D-Lab発のコーン・シェラー(トウモロコシの身剥き器)を作っている。↓の写真のものは、ハインツの缶から作ったもの。

また、メタル・シートからも作っている(英語ブログ参照)。


さて、このたび、新しくコペルニクのテクノロジー・プロバイダに入ることとなった、Global Cycle Solutionsは、その名の通り、自転車を使って様々なモノを作っている団体。ここのコーン・シェラーは、自転車のペダルを使い、非常に効率的にトウモロコシの身を取り除く。このビデオ、かなり衝撃的!


この団体は、自転車を使った、携帯電話の充電器も作っている。


テクノロジーの数がますます増加している。1月ローンチ予定の新しいサイトで、パワーアップしたテクノロジーの全容が見れます。

2010年12月24日金曜日

クリントン・グローバル・イニシアティブから、、

賞状が届いた。


あけると、、、クリントン氏のサイン入り!と、少しミーハーな気分。


CGIに参加するメンバーは、全てコミットメントという形で、「私達はxxをやります!」と宣言しなければいけない。コペルニクは、DIYテクノロジーの普及をコミットした。ついでに、CGIから、「それはいい!」と言っていただき、CGIの総会中にフィーチャーしてもらったという経緯がある。

来年も参加できるかな。

2010年12月23日木曜日

See-D第2部キックオフの報告

(See-d実行委員会より、See-D第2部のキックオフの様子を報告です)

*****


師走も迫った先週土曜日の午後、東京赤坂で、See-D第2部のキックオフが行われた。
(キックオフの案内はこちら: http://www.see-d.jp/oubo.html )

See-D(シード)コンテストは、コペルニクで取り扱っているテクノロジーを更に越える、より途上国の生活向上に役立つ製品を日本発で生み出すことを目指して始まったプロジェクトである。

7月から10月まで行われた第1部イノベーションワークショップでは、50名の参加者とともに、計5回のワークショップやテストパイロット地である東ティモールへのフィールド調査を行ってきた。その結果、計7つのユニークな製品アイディアが考案された(発表会の様子はこちら: http://www.see-d.jp/1023.html

それに続く第2部イノベーションチャレンジでは、第1部で考案されたアイディアに加えて、より広く途上国の生活向上・社会問題解決につながる製品アイディアを募り、その普及プランのデザインをサポートする。具体的には、「ビジネスプランコンテスト」の形をとり、まずチームごとに、「製品アイディアと普及プラン案」を書いてもらい、応募をしてもらう。続いて、1月末に書類審査を行って、10チーム程度に絞る。各チームには、途上国でのビジネスやプロジェクト組成に詳しい専門家をメンターとしてつけ、各チームの普及プランのデザインの精緻化のサポートを行っていく。最後に、3月26日に最終審査会を行って、優秀チームを数チーム選び、それらのチームについては、第3部のインキュベーションで、実行・事業化の部分のサポートにつなげていく予定だ。

IMG_0319

応募する際のチームメンバーを見つけるためのネットワーキングも兼ねた18日のイベントには80人余りの参加者が会場にあふれんばかりに集った。



DSC_0015


「今日の意気込みを聞かせてください。」と聞いてみると、「途上国に本当に必要とされるものを考えてみたい。」「すでにケニアでプロジェクトを行っている。」「暖めているアイディアがある。」といった熱い声が相次ぎ、その熱気に実行委員が驚いたほどだった。

挨拶、第2部の説明に続き、日本ポリグルの小田兼利会長、NGIグループの金子陽三社長、また第1部の参加者である、長谷川さん、鈴木さん、徳久さん、岡崎さんを招いた座談会が行われた。

小田会長は、日本ポリグルが、途上国からの「売ってほしい」という要請に応えるままに、世界40カ国以上に展開していった経緯を話した上で、「今すぐ現場に行ってみてください。ニーズがそこらじゅうにころがっています。」と会場へエールを送った。金子社長は、自身が起業をし、またNGIグループ(ベンチャーキャピタル)で投資をされた経験を踏まえて、「ネットビジネスとSee-Dの審査基準(社会的インパクト、自立発展性、イノベーション)は全く同じ」と指摘され、「ユーザーの目線で、いかに彼らに使う動機付けを与えられるかが重要」とコメントされた。

第1部の参加者からは、主に東ティモールの現場から見えてきたニーズからいかに製品アイディアが考案されていったか、という経緯が紹介され、会場が聞き入っていた。

DSC_0200

最後の会場へのメッセージとして、小田会長は自身が他の予定を断ってSee-Dのキックオフに参加されたことを明かし、「私はこれに賭けてるんです。日本の未来は若者の皆さんにかかっています。」と激励された。金子社長は、「(もし良い案件がでれば)1000万でも5000万でも出資します。」とコメントされ、会場が沸いた。最後に、第1部参加者からの「一緒にがんばっていきましょう。」という言葉で座談会は締めくくられた。

では、具体的にどんなアイディアをコアに、どんな仲間とSee-Dに応募していくか。続くネットワーキングのセッションでは、アイディアを持つ参加者と、チームを探す参加者とのマッチングに重点が置かれた。中には会場で多くのチームメンバーが集まったアイディアも。

閉会を過ぎた後も多くの参加者が残って交流を深めた。

このSee-D(シード)コンテスト、どういった層の応募者が多いのか、といった質問を良く受ける。実は、第1部・第2部を通じて、応募者の大半は社会人だ。高いポテンシャルを持つ学生の方々にも、もっと応募してほしい、との願いを込めて、ソニー株式会社様のご協力により、学生賞が新設された。

最後に、賞を提供くださったソニー株式会社戸村様の言葉をご紹介したい。

大きな会社と同じことをやっていたのでは、われわれはかなわない。しかし、技術の隙間はいくらでもある。われわれは大会社ではできないことをやり、技術の力で祖国復興に貢献しよう。」
(ソニー創業者・井深大)

See-D Innovation Challenge、ぜひ一人でも多くの皆さんの応募をお待ちしています。
(詳しくはこちら: http://www.see-d.jp/seediw.html )

2010年12月22日水曜日

東ティモールに 続々とテクロノジーが届く

英語版ブログで紹介しているが、東ティモールにもクッキング・ストーブが到着している。コペルニク・フェローのマイケルと、NGOのスタッフで試しに使ってみている様子が報告されている。 煙がなく、火力が強いと評判。

まずは水を沸かして、、、


お米も炊いてみる。

その他、D-Lightのソーラーランタンも届いている。ガビーが港まで何度か行って、クリアランスの手伝いをしてくれている。


年末・年始も活動してます。

2010年12月21日火曜日

「変革者であり続けたい」 株式会社ウォーターデザイン 代表取締役/コンセプター 坂井直樹さん


社会こそ僕のステージ

株式会社ウォーターデザイン 代表取締役/コンセプター

慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科教授

坂井直樹さん

デザインに対する熱いパッションと、社会を変えることへの強い意欲。その根底にあるのは、“変革の時代”と言われた1960年代に過ごした思春期の日々かもしれない。アントレプレナーシップを胸に世界のダイナミズムに挑戦し続ける64歳のコンセプターが追うものは。

(インタビュー、文:玉懸光枝)


リスクを恐れるな

新幹線が開通し、東京オリンピックが開かれ、アポロ11号が人類で初めて月に着陸した一方、安保闘争や学園紛争も相次いだ60年代。社会が大きく変わろうとしていた中、デザイン界では「挿絵師」の代わりに「イラストレーター」、「図案師」の代わりに「グラフィックデザイナー」という名前が生まれ、圧倒的な存在感を放つ横尾忠則のアートが脚光を浴びるようになっていた。関西の進学校に通い、周りの同級生と同じように「京大に進学するんだろう」とぼんやり思っていたはずの坂井青年がふと気付くと京都芸術大学に進学しデザインを専攻していた背景にも、5歳から油絵を習っていたことに加え、この時代に溢れていた不可思議なパワーが少なからず影響していたに違いない。

この時代、「ヒッピー」と呼ばれる人々も一躍注目を集めた。伝統・制度など既成の価値観に縛られた社会生活を否定し、男女同権やエコロジーを声高に主張する彼らの文化が、パソコン革命を生み出すきっかけになったという説もある。こうした「先鋭的な思想を持つ活動集団」に魅せられた坂井青年は、せっかく入った大学を1年半で辞めて単身渡米。数カ月後にはヒッピーたちと会社(Tatoo Company)を立ち上げて刺青プリントTシャツを売って大当たりさせた。4年後に帰国してからも、バイクカーの先駆けとなった日産自動車の「Be-1」をはじめ、MOMAの企画展で永久保存となったカメラ「O-Product」、携帯電話auのコンセプトモデルなど、注目作品を次々と世に送り出し話題をさらい続けた。


(株)ウォーターデザイン提供

(株)ウォーターデザイン提供


そんな経歴の持ち主だからこそ、坂井さんは、あれこれ先回りして考えを巡らしリスクを最小化することばかり考えている今の若者たちのことを危惧している。「賢く振舞おうとしているのだろうけれど、実は、思考に頼れば頼るほど堂々巡りになって踏み出せなくなるものだ」と考えているからだ。まして、世界は常に変化し続けており、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛された日本も、今日、世界の中で相対的な地位が著しく低下している。「こんな“滅びゆく国家”にいて、リスクを取らないことは絶対にあり得ない」と坂井さんは手厳しい。

そんな坂井さんは現在、大学教授という顔も持っている。普段は5人の研究員が交代で授業を行っており、折にふれて外部から講師も招いている。最近では歌手の一青窈さんにラブ・レターの添削授業をしてもらった。「いつ・誰に・何を依頼し講義をプロデュースしているかを考え、僕のメッセージを理解してほしい」のだと言う。学生たちに教えたいのは「多様性」だ。彼らの多くは広告業界への就職を夢見ている。しかし、アート、Web、サービス業、そして最近注目されているBOPBase of the Pyramid)など、デザインの裾野が急速に広がっている今日、一見無関係に思われるコピーライティングや作詞の能力も広告業界では欠かせない。「そうした多様性を引き受けられる人間を育てたい」というのが、同氏の願いだ。

インスピレーションを信じて

坂井さんがもう一つ重視していることがある。それは「実体験」だ。アパレルもプロダクトも体系的にデザインを習ったことがない代わり、洋服をばらしてもう一度縫い上げてみたり、自動車を1台解体して組み立て直すことによって構造を学んできた坂井さんにとって、「身体で覚えたからこそ湧き出るインスピレーション」は何より大切だ。「このインスピレーションこそ、実はあの坂本龍馬が世の中を変えることができた理由にも通じていると思うんです」と坂井さんは語る。実は、龍馬が実際に活躍したのはわずか5年ほどに過ぎない。当然、豊富な経験を積んでいたわけではないし、身分も低かった。それでも、他の人々の目には「日本の危機」としか映らなかった黒船に、龍馬は唯一、グローバル化の可能性を直観的に見抜いたのである。実際、彼が直観した通り、黒船にも積まれていた蒸気機関が1700年代半ばに開発されたことによって、世界は一変し、大量輸送時代へと突入していった。

坂井さんは、「これまで100年ごとに社会構造の大きな転換が起きている」という話をしばしば引用する。龍馬も見た蒸気機関がその1回目だとすると、2回目の転換は1800年代半ばの動力革命だと坂井氏は言う。内燃機関の開発によって道路網や高速道路が張り巡らされ、人々の移動は自動車中心になった。3回目の転換はデジタル情報革命。1970年代にインテルが世界初の情報機関を発表しインターネットが急速に普及したことで、ネットワーク上でさまざまなサービスが生まれた。そして今、4回目の産業革命が起きているという。環境エネルギー革命である。「新たなエネルギーこそ社会を変える」と確信する坂井さんは現在、電気飛行機と電気自動車の開発に取り組んでいる。近々、中国とシンガポールで具体的なプロジェクトも誕生する見込みだ。蒸気船に未来を見た龍馬のように、坂井さんの目にはすでに電気エネルギー社会が広がっている。

9月のコペルニクのファンドレイジングパーティーで中村代表とのトークショーに臨んだ坂井さん。コペルニクについてはどのような印象を持ったのだろうか。「Qドラムはいい商品だよね」と言った後で、「でも、もし僕がやるなら、テクノロジーだけでなくビジネスシステムも一緒に現地に持ち込みたいね」と坂井さん。「例えばスニーカーの底だけ外から持ち込み、現地のクロスを付けて販売する仕組みを立ち上げるというように、マネジメントやビジネスの仕組みも提供してあげられるといいね」というアイデアも披露してくれた。さらに坂井さんは、日本という国家に対しても日ごろから思っていることがある。「明治維新では無血革命に成功し、太平洋戦争で壊滅状態に陥ってから世界第2位の経済大国に上り詰めた日本人は、社会の変え方を知っている民族。得たものや失ったものを含め、その経験こそ他の国に伝えていくべきではないか」。

インタビューに答える坂井さん

「社会の変え方を知る民族」とは、なんとも勇気付けられる言葉ではないか。一人一人がリスクを恐れ萎縮することなく、インスピレーションを信じ社会をステージに思いののままに活躍すれば、世の中はきっと変えられる。そんなエールを感じた。

2010年12月20日月曜日

コペルニク日本チーム、大平 崇之(おおひら たかゆき)さん

今回はコペルニク・日本で、翻訳チームのリーダーをしている大平さんを紹介します!

*******

(Written by 大平崇之)

1984年生まれ。学生時代にテレビ番組の制作会社に出入りし、番組のロケで初めて海外に行く。そこで海外に興味を持ち、カンボジア取材を思いつく。撮影として訪れたプノンペンのゴミ山(当時)の光景に圧倒され、国際協力にのめり込む。その後、大学院で建築設計を学んだ後、開発援助機関に就職。

もともと建築設計を専攻していたため、デザインの力で途上国の抱える問題のいくつかは解決できると思っていました。「世界を変えるデザイン展」でコペルニクの存在を知り、コペルニクのシステムが、自分が描いていた形に近いものだったため、その日のうちに連絡を取ったように記憶しています。

開発援助の仕事に従事しているものの、いわゆる「伝統的な開発援助」だけでは、途上国の問題は解決し得ないと思っています。民間ビジネス、公的援助、NGO、市民活動などが互いに補完的に活用され、ようやく解決への糸口が見えるものだと思います。そのため、本業以外での方法で、これらの問題にアプローチしてみたかったという気持ちがありました。

現在のところ、翻訳チームのリードとして、微力ながら携わらせていただいています。簡単に言えば、翻訳に関わる作業の旗振り役です。コペルニクの活動はグローバルにまたがるものなので、ニュースリリースやニュースレターの発行の際は、どうしても翻訳という作業が必要になるのですが、数年前まで海外にも英語にもまったく興味のなかった自分が「翻訳?」という多少の違和感を抱えつつもできることをしています。

コペルニクの価値は、先進国に偏っているテクノロジーやデザインなどの「知識」を、途上国で活動する人たちが自由に選択できる場を提供できることだと思います。

個人的には都市のスラム問題を解消したいとずっと思っているので、いつかコペルニクからプロダクトの提供を受けたいなと思っています。

2010年12月18日土曜日

マラリアネットはただで配るべき?

少し前に見たTEDのプレゼンをたまたま昨日、ジムで再度観ていた。登壇者は、MITのEsther Duflo教授。

援助が善か、悪かのマクロ論争に対するデータは無いと前置きした後、ミクロレベルでの援助の3つをデータで検証している。その内の1つが、マラリアネットをただで配るべきか否かについてで、以下の三つの問いをなげかけている。

  1. マラリアネットをただであげる代わりに、人々に売る場合、そもそも人々はお金を払ってまで購入するのか?
  2. マラリアネットをただであげると、ありがたみが無くなり、ネットの使用率は減るのか?
  3. マラリアネットを一度ただで上げてしまうと、「援助なれ」してしまい、将来もタダでもらうことを期待し、二回目から自分でお金を出して購入しないのではないか?


「援助が悪」派の主張は、「タダで上げると、ありがたみが無くなり、援助慣れを生んで、将来ネットを売ろうとしても売れず、悪循環が起こる。よって、このような援助は、サステイナブルではない。」というところ。さて、実際にデータを使って検証するとどうか。

1:マラリアネットをただであげる代わりに、人々に売る場合、そもそも人々はお金を払ってまで購入するのか?

ケニアでの調査によると、答えは「高ければ高い程、購入する確率が低下する」。常識的に考えても、これは納得がいく答え。何かをただであげるよと言われれば、じゃあもらって思うかということになるし(ほぼ100%)、三ドル払えと言われれば、財布のひもも緩まない(20%以下)。一ドルだったら、まあ払おうかなという感覚(約60%)。


2.マラリアネットをただであげると、ありがたみが無くなり、ネットの使用率は減るのか?

同じ調査の結果によると、「ただで上げても、いくらで売っても、人々は同じ様にネットを使う」。80%以上の人が一様にネットを使用しているという。言いかえれば、ただであげても、ありがたみは無くならないということ。




3.マラリアネットを一度ただで上げてしまうと、「援助なれ」してしまい、将来もタダでもらうことを期待し、二回目から自分でお金を出して購入しないのではないか?

ただでもらった人の内20%は、一年後に2ドルを出して買っている一方、3ドル出して購入した人の内、1年後2ドルで購入した人は10%強。つまり、一回ただであげても、「援助なれ」という現象は起こっていない。



さて、この結果は、援助政策にとってどういう意味があるのだろうか。マラリアネットに限って言えば、「どんどんタダで配れ」ということになる。マラリア・ネットの価格と普及に関する調査は、実際、非常に多く、皆同じ結果が出ている。(例えば、ブルッキング・インスティチューションが行ったこの調査

より大きな質問は、「この原則は、他のテクロノジーにも当てはまるのか」ということ。最近は、ソーラーランタンの普及についての調査がぽつぽつ出たしたとは言え(例えばコロンビア大学地球研究所のこの調査)、マラリアの調査量に比べると非常に少ない。

コペルニクのプロジェクトを通じて、このような調査をどんどんと行っていきたい。来年の1-3月にかけて、コロンビア大学のSIPAチームとインドネシアのカリマンタンで行うのも、このような調査。大学・シンクタンクの方で、調査費用を負担することが出来、適正技術普及に興味のある方は、御一報を。

「イノベーションの預言者」 ジョセフ・シュンペーター

キンドルで今読んでいる本は、経済学者、ジョセフ・シュンペーターの伝記「イノベーションの預言者」(Prophet of Innovation)。

マルクスや、ケインズなどと同世代に生き、資本主義の本質とは、起業家とはなど、非常に示唆深いシュンペーターの考えが披露されている。さらに、オーストリア、ドイツ、アメリカを生き、妻を亡くすなど、彼の個人的側面も描写されている。

私がイギリスの大学院で政治学を勉強した時は、彼のエリート主義的な民主主義観というところを主に教えられた。この本で描かれるシュンペーターの社会学、経済学、政治学を統合する幅広い理論展開は、今でも新しい。

彼の生きた20世紀前半は、第一次、第二次大戦という人類の歴史上でも最も波乱万丈の時代。同時に、封建制度が終わり、資本主義が花咲き始めた時でもある。資本主義とは、アントレプレナーとは何かという根本的な問題を考え直す、いい機会を与えてくれた本だ。

2010年12月17日金曜日

コペルニクオークション@PRTMホリデーディナー

(Written by コペルニク日本支部代表 諸橋峰雄)

私が所属するコンサルティングファームPRTMのホリデーディナーで、サイレントオークションを実施した。これまではディナーは毎年やっていたものの、こうしたイベントはなかった。ただ、グローバルで他の国のオフィスはこれまでもオークションなどチャリティイベントをやっていたこともあり、今回私とコペルニクとの関係をきっかけに今回社内提案を経て実施することになった。


オークションそのものへの参加はこれまでほとんどなかったメンバーだったので、最初はちゃ んと参加してくれるか不安なものがあった。「入札がまったくなく余ってしまったら。。」「盛り上がらなかったら。。。」という思いはあったものの、思いに 共感してくれる人は多いに違いないと信じた。

オークションの出品は社員と元社員に呼びかけた。その結果集まった商品数はおよそ30品。 某薬局の1000円チケットから、マラソン出走権、ワインディナーチケット、スパチケット、また高価なものではホテル宿泊券+ディズニーリゾート2日パス ポートまで、バラエティ豊富なものがそろった。コペルニクからもソーラーランタン2個を提供してもらった。


ディナー当日。代表中村とEwa二人のビデオレターから始まり、乾杯とともにオークション がスタート。最初の30分程度、ほとんど入札が行われない。人もソファに座って話をするのに夢中で、なかなか商品を見ようとしていない。少し焦り、営業に まわることに。ネタになりそうな商品とパネルを持って話に割り込み、入札してくれそうな人に声をかける。何品か同様にやってみると、不思議と興味を持って くれた人が増えてきて、気づくと商品テーブルに人だかり。ここから一気に入札の数が増えてきた。

2時間が終わってみると、入札がなかったのは一品のみ。後はすべて入札されており、特に競争が激しかったのがコペルニクが出品したソーラーランタンと、ビンテージワインだった。

さらにこの日パートナーたちに相談したところ、大変うれしいことにマッチアップをしてくれることになった。落札された金額分を完全に上乗せして寄付をしてくれるというのだ。

集計。落札金額は合計14万円程度。マッチアップを含めると30万円近く集まったことになる。
一晩でこれだけの金額が集まり、本当に会社の仲間には本当に感謝している。ありがとうございました!!

2010年12月15日水曜日

コペルニクフェロー Takuro便り9 charcoal project (続き)

前回は、ドラム缶に炭の原料を詰めるところまで出来ました。今回は、火をつけ、実際に炭を作り、使ってみるプロセスが記録されています。

*****

11:50-火を付ける。

ドラム缶を3つの大きな石に乗っけて、火を付けます。


12:10-大量の煙が発生

20分ほどしてようやく大量の煙が発生しだしました。ただ、これはドラム缶の底で大量に燃えている木材の煙か、中で燃えている煙か分かりません。


12:25-中が燃えているような煙が発生

そして、15分ほどして中が燃えているような煙が発生しだしました。


12:50-トップに火が付いた。

それから、35分してようやくドラム缶の上部に火が付きました。

さて、ここで少し整理をします。ドラム缶の底に火を付けてからここまで1時間も経過しました。インストラクションには「The smock will be hot enough that you can ignite it to make the fire burn more cleanly」というように書かれていますが、上部に火をつけようと思っても、酸素濃度の低さから火が直に消えてしまいます。つまり、今回の場合は1時間ドラム缶を燃やし続けるための大量の木材等が必要となりました。また、上部の火力もインストラクションやMichealのトライアルのよりもはるかに弱いものなっています。原因は分かりませんが、このようなケースもあるということですね。

13:00-蓋をして土をかぶせる

上部に火が付いた10分後にドラム缶に蓋をします。この蓋はたまたまホストファミリーが持っていました。その後、底の石を退かし、土を被せ2時間ほど待ちます。

15:30-キャッサバをカットする。

2時間半後に作業を再開。まずは、キャッサバを潰していきます。さて、ここではMITのインストラクションに載っているような器具を使用しません。代わりに、包丁でキャッサバを細かく切って、木の枝で潰すことにします。しかし、写真の通り、上手くキャッサバをクラッシュすることができません。


16:00-Charcoalを潰す

まずは、ドラム缶の中の炭を潰す作業。農作物用の大きい袋に炭を移し、足で踏んで炭を潰していきます。炭は予想以上に硬く、また足で炭を潰すたびに袋の網目から炭が霧状に出てきます。


16:30-Boiling waterにキャッサバを投入

炭を潰している間に沸騰させた水に、潰したキャッサバを混ぜていきます。かき混ぜること20分段々とドロっとしてきました。しかし、なかなかインストラクションにある絵のように粘つきません。ちなみに水の分量は目算です。なので、どこまで正確か分かりません。30分経過しても変わりがないのでこれを使用することにします。

17:00-Charcoalとキャッサバの液体を混ぜる

いよいよ最終段階です。炭とキャッサバで作った粘着性の液体を混ぜていきます。


17:10-炭を固める。

さて、ここでもMITのインストラクションに載っているような炭を固める器具は使用しません。代わりに、鉄のカップに炭を詰めて形を作ります。




17:20-完成

炭を鉄のカップから取り出し完成です。930分から初めて1720分に終了したということで約8時間掛ったということになります。

1211日】

1127日に完成した炭の効果を試す時が来ました。写真の通り、1127日に完成した炭と比較して細かくなっていることが分かります。これは乾燥した後に粘着力が弱いことからバラバラになったと考えられます。また、触ると分かりますが、非常に脆いです。次に、実際に火を付けて様子を見てみます。火が付きやすいように少しKeroseneを垂らし火を付けます。火が付いてから20分後、火が消えてしまいました。Agnetta曰く、普通の炭と比較してこの炭は火力も弱く、火の持ち時間も短く、そして煙も大量に発生するそうです。


【考察】

今回のトライアルは失敗の良い例だと思います。普通の炭と比較して、火力が弱く、火の持ち時間が短いのは炭が小さくとても脆いからです。この原因は、炭を接着するボンドが弱く、炭が固まっていないからです。前者に関して、キャッサバをすり潰す器具を用いなかったため、その液体がボンドとして役割を効果的に果たさなかったと考えられます。後者に関しても、Charcoal press器を用いなかったため上手く炭が固まらず、乾燥したらバラバラになったと考えれます。ということで、今回の低コスト化した部分は何らかの手段を持って解決しなければならない事が分かりました。次回は、上記の2点を解決していきます。

以下が、このトライアルの写真の一覧です。

http://picasaweb.google.com/max622max/CharcoalProject1?authkey=Gv1sRgCPT3yqy4rIbtHA&feat=directlink