今回は、横田さんに続いて、See-D実行委員会メンバーの山内亮太さんを紹介します!
山内亮太さん
私がSee-Dに関わるようになったきっかけは、様々な”シンクロニシティ”が掛け算になっています。
それをご説明するために、まずはじめに、私の生い立ちと経歴をはじめにご紹介します。
私は長崎県の壱岐という島で生まれ育ちました。
高校から長崎へ、そして大学で大阪へ。
そしてあこがれのソニーへ入社。
そしてかねてから抱いていた起業の思いを実現すべくエティックへ
ここでビジネスを通じて社会の問題を解決する、「
つまり、私のここまでの人生は、生まれた瞬間から
「もの作り」「発展途上国」「ソーシャルイノベーション」
という3つのキーワードに集約されています。
この3つのキーワードを集約する大きなヒントをくださったのは、実はアライアンスフォーラム財団の古川さんという方でした。
アライアンスフォーラム財団は原丈人さんの新国富論でも有名なよ
”日本の企業が、
この瞬間、自分の中で何かが走り抜けました。
私がソニー時代に最後にやった仕事はテレビの無線LAN対応。そのときにアジアの国々を売り上げ別に並べて、
”ああ!自分は日本の技術を途上国に役立てるチャンスを切り捨てたんだ”
仕事の延長線上にある人々の表情や価値を考えられていなかった自分が恥ずかしくなりました。
そして時を同じくして渡邊奈々さんの「チェンジメーカー」で出会った、ライフストローに感銘を受けます。
”技術を使って日本からソーシャルイノベーションを起こせる。”よし、エティックで何かをやろう”
そんな時に、本当に偶然出会ったのがコペルニクの中村さんと陸さんでした。
”日本発のライフストローを出したい”
そんな思いが共鳴し、3月に中村さん、陸さん、そしてMITの遠藤さん、Joseさんとともに中小企業向けセミナー” 途上国の問題を日本の先進技術で解決する”を企画・実行したことをきっかけに、思いは確信に変わっていきます。
そして3月の終わりごろだったと思いますが、中村さんから”打ち合わせをやります”という謎のお誘いにふらっと参加したおかげで、素晴らしい実行委員の皆さんと出会い、共感を呼び、S ee-Dが始まります。
そして時を同じくして渡邊奈々さんの「チェンジメーカー」
”技術を使って日本からソーシャルイノベーションを起こせる。”よし、エティックで何かをやろう”
そんな時に、
”日本発のライフストローを出したい”
そんな思いが共鳴し、3月に中村さん、陸さん、
そして3月の終わりごろだったと思いますが、中村さんから”
そして、実はこのSee-
それは、
”すべてのエンジニア/商品企画マンのクリエイテビティと仕事の働きがいを再構築する”
ということです。
ユーザーの生活だけではなく、その国の未来を信じ彼らとともによりよい社会を作る。 そのために必要とされる技術を構成する。この体験を通じて達成されるものだと信じています。
ユーザーの生活だけではなく、
自らの経験も含めて、人生は達成したいことに使命を感じ始めた瞬間から回り始めるもの
よろしくお願いいたします。
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