2010年7月26日月曜日

「理系の力を社会に役立てたい」 コペルニク・スペシャリスト 陸翔インタビュー

~1つでもBOP製品の前例を~

日本初のアイディアコンテストにかける思い

See-D Contest実行委員長;コペルニク・スペシャリスト

陸翔さん

理系少女が見た新製品開発の現実

 「理系の人ってカッコよくて素敵なんですよね」――。まるで、憧れの俳優の話でもするかのような軽やかな口調で彼女は話し始めた。陸翔さん。この夏開かれる「See-D Contest」の発案者の1人であり、実行部隊のリーダーである。

 中国・上海で生まれ、6歳で日本に渡った陸さんは、高校卒業までの12年間、遊ぶ代わりにいろいろな実験を繰り返したり研究所の体験プログラムに参加して過ごす理系少女だった。進学したマサチューセッツ工科大学(MIT)では分子生物学を専攻し、植物の力を農業や社会に活用する研究者になろうと研究に没頭。ところが、4年生になって初めて「興味の対象が次々と変わる自分に、何十年も1つのテーマを追う研究者が本当に向いているのか」と考えるようになったという。自問自答の末、陸さんはいったん「世の中を見てみる」ために大学の外に出ることを決意。「理系の人の力を社会に役立てたい」と、外資系コンサルティング企業に就職した。

家電メーカーや製薬企業担当のビジネスコンサルタントとして新商品のマーケティングやブランディング業務に奔走する中で、ある家電メーカーの製品開発にかかわることになった陸さん。メーカー担当者たちと一丸となって消費者調査、ターゲットの絞り込み、プロダクトデザインに取り組み、製品化にこぎ着けたが、結果的にこの製品は思ったほど売れなかった。「あんなにやったのに…」という悔しさと、すでにモノが飽和状態にある先進国市場に新製品を作り出して売り続けることへの空虚感。この時に感じた感情が、その後、陸さんを次なるステージに導く伏せ線となる。折しもこの頃、学生時代から関わってきたSTeLAという科学技術人材のリーダーシップ育成ネットワークの会合でも、「地球温暖化などのグローバル課題に理系人材がどう関わるべきか」といったテーマが頻繁に議題に上るようになっており、陸さんは、社会人になって3年経ってもこうした問題に何一つ貢献できないままの自分に言いようのない焦りを感じ始めていた。

陳腐なテクノロジーが神様のよう

そんな陸さんに、転機が訪れる。「植物の力を利用して水をろ過する浄水器を貧しい村落地域に導入しようとしている企業のビジネスモデル作りを手伝わないか」との誘いが舞い込んだのだ。企業主導のビジネスを通じて途上国の抱える社会課題の解決策を促す国連開発計画(UNDP)とヤマハ発動機の連携案件。まるで天の啓示のようなチャンスをつかみ、休職して飛び込んだインドネシアでは、地方に出張に行くたびに「うちの手押しポンプはサンヨーだよ、見ていかない?」「ホンダのバイクのおかげで水汲みが大層楽になった」と村人から自慢気に声をかけられた。「日本の目から見れば陳腐なテクノロジーを神様のように大切に扱ってくれるところが世界にはまだある」と衝撃を受けた陸さん。同時に、「まだ世界にはテクノロジーを享受できていない人たちが大勢いる。それなら、すでにテレビを5台持っているかもしれない家庭に6台目の新型モデルを売りつけるのではなく、これまでテレビを買ったことがない人にテレビを届けられるような仕事がしたいと思うようになりました」。

それから1年後の2009年、インドネシアの仕事を終えた陸さんは、途上国の開発について学び直すためハーバードケネディ行政大学院・国際開発専攻修士コースに留学。数年ぶりに戻ったアメリカでは、かつてSTeLAを一緒に立ち上げた遠藤謙さんや土谷大さんも、途上国の暮らしや環境に即した「適正技術」を活用し安価で丈夫な製品を作り出す大学の工学教育「D-Lab」に取り組んでいた。このプログラムに賛同した陸さんは、日本に「D-Lab」を広げる活動に参加。さらに、以前勤めていたコンサルティング企業の先輩であり、インドネシアの浄水器案件でも相談に乗ってもらっていた中村俊裕さんに誘われてコペルニクにも協力するようになった。こうして、「理系の力を社会に役立てたい」という陸さんの思いは、期せずして同じように世界の貧困問題にテクノロジーの側面から応えようとする様々な人々をつなぎ、彼らを核に新たな賛同者も集まり始めた。

コンテストに向けた説明会開催の様子

もちろん、苦労はある。D-Labが生まれたMITにはビジネススクールが併設され、様々な社会経験を持つ人々がベンチャーを志す風土があるため、大学はいわば、D-Labで生まれた製品が社会に出て実用化されるまで面倒をみてくれるインキュベーターのようだった。しかし、実社会と隔絶し前例を重んじる風潮が強い日本の大学では、D-Labの導入も一筋縄ではいかない。そこで、今回のSee-D Contestは大学と一旦切り離して実施することにした。目指すのは、とにかくいいアイディアと人を集め、“このコンテストのおかげで生まれた製品”を1つでも世に送り出すこと。「これこそ前例主義の日本の大学への絶好のメッセージになる」と陸さんは考えている。

ぱっと花が咲いたような、明るくて屈託のない陸さんの笑顔に癒やされる人は多いだろう。とはいえ、2度目の留学に踏み切ってからSee-D Contest開催に至ったこの10カ月間は、さぞかし激動かつ多忙な日々だったに違いない。そんな陸さんのストレス解消法は?――「うーん。それが今はストレスがまったくないんです。気持ちのいいメンバーと一緒に好きなことやってますから」。

どこまでも気負いのないこの“仕掛け人”が日本のモノ作り力を再生するトリガーを作り出すことは、まず間違いなさそうだ。

(インタビュー・文:玉懸光枝)

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