2011年3月25日金曜日

コペルニク・アドバイザー 小木曽麻里さん - 「インドネシアに渡る日本の浄水技術 」

住民自身が選ぶテクノロジー

小木曽麻里さん

コペルニク アドバイザリ・ーボードメンバー

インタビュー・文:玉懸光枝

日本で今日のように「BOPビジネス」が注目されるようになるずっと前から、世界銀行東京事務所でのセミナー開催などを通じ、各方面にその概念を説いてまわっていたのはこの人だ。その温和な人柄と毅然とした行動力を慕う人は多い。企業と途上国という、一見相反する両者をつなぐ仕掛け作りにいち早く乗り出した彼女には、数々の巡り合わせやタイミングすら味方にしてしまう不思議なパワーが溢れている。

めぐり合いによって導かれたキャリア

 話を聞いているこちらまでリラックスする優しい雰囲気をまとった小木曽麻里さん。人を惹き付けて離さないその笑顔の魅力は、数々の「めぐり合わせ」に導かれて生きてきたしなやかさと、自身のミッションを追う凛とした強さにあるのかもしれない――。

 大学で経済学を学び、バブル真っ盛りの90年代初頭に日本長期信用銀行(長銀:現新生銀行)に就職して大企業営業や市場取引、マーケット業務などの銀行業務に奔走していた小木曽さん。無我夢中のうちに7年が過ぎた頃、昔から関心のあった環境問題を学びたいという気持ちが募り、退社してアメリカ・タフツ大学フレッチャー校へ。周囲には「もったいない」と反対する人もいたが、夫は「1年で帰るなら」と送り出してくれた。ところが、それから間もなく長銀の経営が破たん。「入った時の格付けはトリプルAだったのに、先のことは分からない」ことを実感した。

卒業が近付いた頃、学校で開催されるキャリアトリップでワシントンDCの世界銀行を訪問し、たまたま父の友人の紹介で会った世界銀行の職員から、「環境とファイナンスのバックグラウンドがある人を探している」と言われた。当時、環境と金融をという一見つながりにくい2つの分野のバックグラウンドを持つ人材は少なかったため、「まるで自分のために用意されたポストのようで運命を感じ」、再び夫を説得。もう少しアメリカに残って世界銀行で働くことを決意した。結局、アメリカ滞在は4年半に及び、友人からは「まだ離婚してなかったんだっけ」と冗談まじりでからかわれることもあった。

帰国の道中でも出会いがあった。空港で会った知人に、「日本に戻るなら、世銀東京事務所内にある多国間投資保証機関(MIGA)で働かないか」と言われ、MIGAの東京事務所長になった。途上国への投資に対する保証提供業務の傍ら、世銀の研究所とともにCSRBOPに関する勉強会を立ち上げた。当時は今のように「BOP」という言葉がまだ広く認知されていなかったため、官庁や開発関係者、研究機関らに「BOPビジネスとは何か」という概念を説明するところから始めた。

世界銀行での業務は楽しかったが、もともと数年ごとに任地を転々とするインターナショナルスタッフとして採用された小木曽さん。少し前から異動の打診が世銀本部より届くようになり、悩んだ末、夫と1歳半になる息子・櫂君と共にこのまま日本に拠点を置くことを選択した。キャリア上は一休みだが、「これも神様がくれた時間」と、あくまで自然体の小木曽さん。そんな彼女にとって、新たな舞台がコペルニクである。

亡き父に呼ばれたインドネシア

世銀退職と同時に実際のBOPプロジェクトに携わりたいと思っていた矢先に中村代表と知りあい、アドバイザーとしてコペルニクにかかわるようになった小木曽さん。2月には、日本ポリグル(株)、四国化成工業(株)、日板研究所の3社の協力を得て、インドネシアとカンボジアの人々に安全な水を届けるプロジェクトを立ち上げた。途上国の水問題については、これまで数々の浄化方法が提案されてきた。にもかかわらず本格的な実用に至っていないのは、その地域に適したテクノロジーが持ち込まれていないからではないか――。そんな思いから、小木曽さんはコペルニクを通じてまずは日本の3種類の浄水テクノロジーを含む4製品を現地に届け、最も適切な製品を住民自身に選んでもらうことにしたのだ。まずは3カ所で5月を目処に実証実験を行った後、他地域にも横展開を図っていく予定だ。「暮らしに合った“適正技術”をいくつか提供し、住民に選んでもらう、という発想はとても新しい」と、このプロジェクトに寄せる期待は大きい。

また、JICAの「インドネシアへのPPP推進のための技術協力」にも携わっている小木曽さんは、その準備調査もかねて昨年から何度か出張ベースでインドネシアを訪れるようになったが、そのことにも不思議な縁を感じている。実は、医者だった父、金井弘一さんは生前、不衛生な水が一因となり多くの人が肝炎を患っていたインドネシア・ロンボク島をしばしば訪れては、現地の医者と一緒に肝炎の治療法をリサーチしたり、現地の若手の医者を日本に研修に招いたり、国内で償却が終わったがまだ使用できる医療機械を集め現地に寄付するといった医療支援を行っていたのだ。初めから父の足跡を辿ってきたわけでは決してない。しかし、あくまで状況に応じてその時その時で判断を下し、できる仕事を続けてきた結果、コペルニクと出会い、インドネシアで水衛生関連のプロジェクトを仕掛けることになった運命を思うたび、「きっと父に呼ばれたんだろうな」と感じる。聞くところによると、一世代前の祖父も、日本の無医村を回って北海道から沖縄まで移動していた人物だったらしい。「困っている人がいると思うと放っておけない血筋なのかも」と小木曽さんは楽しそうに微笑む。

貨幣で測れない価値観の創出を

1年前の発足以来、コペルニクは世界に着実にファンを広げつつある。実際、今年1月末には、インターネットや技術革新などの中からもっとも魅力的なものが選ばれるTech Crunch主催の「Crunchies Award 2010」で、コペルニクがクリーンテック部門の第2位を獲得した。「こうしてコペルニクのファンが世界に広がっているのはすごいこと」と小木曽さん。「コペルニクのコンセプト自体が人々の共感を呼んでいる」からこそだと考えている。

「もともと経済を勉強していたからこそ、経済性だけで完結しないビジネスのあり方が模索されつつある昨今の動きが興味深い」と小木曽さん。アメリカでも、ハーバード大学などで学ぶエリート学生の中で、大手の金融機関よりteach for americaなどのNPOが就職先として人気を集めているように、貨幣だけで測れない価値観にこそお金を払いたい人が増えつつある。そうした流れを一層確かなものにするためにも、「日本企業によるBOPビジネスのモデルを立ち上げ、コペルニクが組織として軌道に乗るよう支援していきたい」と意気込んでいる。

家族との時間を何より大切にしながら、期せずして祖父や父の夢も間接的に追い続けることになった小木曽さん。愛息子の櫂君と一緒にインドネシアを訪れる日を夢見ながら、今日も志ある人たちとの仕掛けづくりに目を輝かせている。

0 件のコメント:

コメントを投稿