2010年12月31日金曜日
2010年12月28日火曜日
裏庭で日本ポリグル浄水剤をテスト
2010年12月27日月曜日
Global Cycle Solutions
2010年12月24日金曜日
クリントン・グローバル・イニシアティブから、、
2010年12月23日木曜日
See-D第2部キックオフの報告
(キックオフの案内はこちら: http://www.see-d.jp/oubo.html )
See-D(シード)コンテストは、
それに続く第2部イノベーションチャレンジでは、
応募する際のチームメンバーを見つけるためのネットワーキングも
「今日の意気込みを聞かせてください。」と聞いてみると、「
挨拶、第2部の説明に続き、日本ポリグルの小田兼利会長、
小田会長は、日本ポリグルが、途上国からの「売ってほしい」
最後の会場へのメッセージとして、
では、具体的にどんなアイディアをコアに、どんな仲間とSee-
このSee-D(シード)コンテスト、
最後に、
「大きな会社と同じことをやっていたのでは、
See-D Innovation Challenge、
(詳しくはこちら: http://www.see-d.jp/seediw.
2010年12月22日水曜日
東ティモールに 続々とテクロノジーが届く
年末・年始も活動してます。
2010年12月21日火曜日
「変革者であり続けたい」 株式会社ウォーターデザイン 代表取締役/コンセプター 坂井直樹さん
株式会社ウォーターデザイン 代表取締役/コンセプター
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科教授
坂井直樹さん
デザインに対する熱いパッションと、社会を変えることへの強い意欲。その根底にあるのは、“変革の時代”と言われた1960年代に過ごした思春期の日々かもしれない。アントレプレナーシップを胸に世界のダイナミズムに挑戦し続ける64歳のコンセプターが追うものは。
リスクを恐れるな
新幹線が開通し、東京オリンピックが開かれ、アポロ11号が人類で初めて月に着陸した一方、安保闘争や学園紛争も相次いだ60年代。社会が大きく変わろうとしていた中、デザイン界では「挿絵師」の代わりに「イラストレーター」、「図案師」の代わりに「グラフィックデザイナー」という名前が生まれ、圧倒的な存在感を放つ横尾忠則のアートが脚光を浴びるようになっていた。関西の進学校に通い、周りの同級生と同じように「京大に進学するんだろう」とぼんやり思っていたはずの坂井青年がふと気付くと京都芸術大学に進学しデザインを専攻していた背景にも、5歳から油絵を習っていたことに加え、この時代に溢れていた不可思議なパワーが少なからず影響していたに違いない。
この時代、「ヒッピー」と呼ばれる人々も一躍注目を集めた。伝統・制度など既成の価値観に縛られた社会生活を否定し、男女同権やエコロジーを声高に主張する彼らの文化が、パソコン革命を生み出すきっかけになったという説もある。こうした「先鋭的な思想を持つ活動集団」に魅せられた坂井青年は、せっかく入った大学を1年半で辞めて単身渡米。数カ月後にはヒッピーたちと会社(Tatoo Company)を立ち上げて刺青プリントTシャツを売って大当たりさせた。4年後に帰国してからも、バイクカーの先駆けとなった日産自動車の「Be-1」をはじめ、MOMAの企画展で永久保存となったカメラ「O-Product」、携帯電話auのコンセプトモデルなど、注目作品を次々と世に送り出し話題をさらい続けた。
そんな経歴の持ち主だからこそ、坂井さんは、あれこれ先回りして考えを巡らしリスクを最小化することばかり考えている今の若者たちのことを危惧している。「賢く振舞おうとしているのだろうけれど、実は、思考に頼れば頼るほど堂々巡りになって踏み出せなくなるものだ」と考えているからだ。まして、世界は常に変化し続けており、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛された日本も、今日、世界の中で相対的な地位が著しく低下している。「こんな“滅びゆく国家”にいて、リスクを取らないことは絶対にあり得ない」と坂井さんは手厳しい。
そんな坂井さんは現在、大学教授という顔も持っている。普段は5人の研究員が交代で授業を行っており、折にふれて外部から講師も招いている。最近では歌手の一青窈さんにラブ・レターの添削授業をしてもらった。「いつ・誰に・何を依頼し講義をプロデュースしているかを考え、僕のメッセージを理解してほしい」のだと言う。学生たちに教えたいのは「多様性」だ。彼らの多くは広告業界への就職を夢見ている。しかし、アート、Web、サービス業、そして最近注目されているBOP(Base of the Pyramid)など、デザインの裾野が急速に広がっている今日、一見無関係に思われるコピーライティングや作詞の能力も広告業界では欠かせない。「そうした多様性を引き受けられる人間を育てたい」というのが、同氏の願いだ。
インスピレーションを信じて
坂井さんがもう一つ重視していることがある。それは「実体験」だ。アパレルもプロダクトも体系的にデザインを習ったことがない代わり、洋服をばらしてもう一度縫い上げてみたり、自動車を1台解体して組み立て直すことによって構造を学んできた坂井さんにとって、「身体で覚えたからこそ湧き出るインスピレーション」は何より大切だ。「このインスピレーションこそ、実はあの坂本龍馬が世の中を変えることができた理由にも通じていると思うんです」と坂井さんは語る。実は、龍馬が実際に活躍したのはわずか5年ほどに過ぎない。当然、豊富な経験を積んでいたわけではないし、身分も低かった。それでも、他の人々の目には「日本の危機」としか映らなかった黒船に、龍馬は唯一、グローバル化の可能性を直観的に見抜いたのである。実際、彼が直観した通り、黒船にも積まれていた蒸気機関が1700年代半ばに開発されたことによって、世界は一変し、大量輸送時代へと突入していった。
坂井さんは、「これまで100年ごとに社会構造の大きな転換が起きている」という話をしばしば引用する。龍馬も見た蒸気機関がその1回目だとすると、2回目の転換は1800年代半ばの動力革命だと坂井氏は言う。内燃機関の開発によって道路網や高速道路が張り巡らされ、人々の移動は自動車中心になった。3回目の転換はデジタル情報革命。1970年代にインテルが世界初の情報機関を発表しインターネットが急速に普及したことで、ネットワーク上でさまざまなサービスが生まれた。そして今、4回目の産業革命が起きているという。環境エネルギー革命である。「新たなエネルギーこそ社会を変える」と確信する坂井さんは現在、電気飛行機と電気自動車の開発に取り組んでいる。近々、中国とシンガポールで具体的なプロジェクトも誕生する見込みだ。蒸気船に未来を見た龍馬のように、坂井さんの目にはすでに電気エネルギー社会が広がっている。
*
9月のコペルニクのファンドレイジングパーティーで中村代表とのトークショーに臨んだ坂井さん。コペルニクについてはどのような印象を持ったのだろうか。「Qドラムはいい商品だよね」と言った後で、「でも、もし僕がやるなら、テクノロジーだけでなくビジネスシステムも一緒に現地に持ち込みたいね」と坂井さん。「例えばスニーカーの底だけ外から持ち込み、現地のクロスを付けて販売する仕組みを立ち上げるというように、マネジメントやビジネスの仕組みも提供してあげられるといいね」というアイデアも披露してくれた。さらに坂井さんは、日本という国家に対しても日ごろから思っていることがある。「明治維新では無血革命に成功し、太平洋戦争で壊滅状態に陥ってから世界第2位の経済大国に上り詰めた日本人は、社会の変え方を知っている民族。得たものや失ったものを含め、その経験こそ他の国に伝えていくべきではないか」。
インタビューに答える坂井さん
「社会の変え方を知る民族」とは、なんとも勇気付けられる言葉ではないか。一人一人がリスクを恐れ萎縮することなく、インスピレーションを信じ社会をステージに思いののままに活躍すれば、世の中はきっと変えられる。そんなエールを感じた。
2010年12月20日月曜日
コペルニク日本チーム、大平 崇之(おおひら たかゆき)さん
1984年生まれ。学生時代にテレビ番組の制作会社に出入りし、番組のロケで初めて海外に行く。そこで海外に興味を持ち、カンボジア取材を思いつく。撮影として訪れたプノンペンのゴミ山(当時)の光景に圧倒され、国際協力にのめり込む。その後、大学院で建築設計を学んだ後、開発援助機関に就職。
もともと建築設計を専攻していたため、デザインの力で途上国の抱える問題のいくつかは解決できると思っていました。「世界を変えるデザイン展」でコペルニクの存在を知り、コペルニクのシステムが、自分が描いていた形に近いものだったため、その日のうちに連絡を取ったように記憶しています。
開発援助の仕事に従事しているものの、いわゆる「伝統的な開発援助」だけでは、途上国の問題は解決し得ないと思っています。民間ビジネス、公的援助、NGO、市民活動などが互いに補完的に活用され、ようやく解決への糸口が見えるものだと思います。そのため、本業以外での方法で、これらの問題にアプローチしてみたかったという気持ちがありました。
現在のところ、翻訳チームのリードとして、微力ながら携わらせていただいています。簡単に言えば、翻訳に関わる作業の旗振り役です。コペルニクの活動はグローバルにまたがるものなので、ニュースリリースやニュースレターの発行の際は、どうしても翻訳という作業が必要になるのですが、数年前まで海外にも英語にもまったく興味のなかった自分が「翻訳?」という多少の違和感を抱えつつもできることをしています。
コペルニクの価値は、先進国に偏っているテクノロジーやデザインなどの「知識」を、途上国で活動する人たちが自由に選択できる場を提供できることだと思います。
個人的には都市のスラム問題を解消したいとずっと思っているので、いつかコペルニクからプロダクトの提供を受けたいなと思っています。
2010年12月18日土曜日
マラリアネットはただで配るべき?
- マラリアネットをただであげる代わりに、人々に売る場合、そもそも人々はお金を払ってまで購入するのか?
- マラリアネットをただであげると、ありがたみが無くなり、ネットの使用率は減るのか?
- マラリアネットを一度ただで上げてしまうと、「援助なれ」してしまい、将来もタダでもらうことを期待し、二回目から自分でお金を出して購入しないのではないか?
2.マラリアネットをただであげると、ありがたみが無くなり、ネットの使用率は減るのか?
「イノベーションの預言者」 ジョセフ・シュンペーター
2010年12月17日金曜日
コペルニクオークション@PRTMホリデーディナー
2010年12月15日水曜日
コペルニクフェロー Takuro便り9 charcoal project (続き)
11:50-火を付ける。
ドラム缶を3つの大きな石に乗っけて、火を付けます。
12:10-大量の煙が発生
20分ほどしてようやく大量の煙が発生しだしました。ただ、これはドラム缶の底で大量に燃えている木材の煙か、中で燃えている煙か分かりません。
12:25-中が燃えているような煙が発生
そして、15分ほどして中が燃えているような煙が発生しだしました。
12:50-トップに火が付いた。
それから、35分してようやくドラム缶の上部に火が付きました。
さて、ここで少し整理をします。ドラム缶の底に火を付けてからここまで1時間も経過しました。インストラクションには「The smock will be hot enough that you can ignite it to make the fire burn more cleanly」というように書かれていますが、上部に火をつけようと思っても、酸素濃度の低さから火が直に消えてしまいます。つまり、今回の場合は1時間ドラム缶を燃やし続けるための大量の木材等が必要となりました。また、上部の火力もインストラクションやMichealのトライアルのよりもはるかに弱いものなっています。原因は分かりませんが、このようなケースもあるということですね。
13:00-蓋をして土をかぶせる
上部に火が付いた10分後にドラム缶に蓋をします。この蓋はたまたまホストファミリーが持っていました。その後、底の石を退かし、土を被せ2時間ほど待ちます。
15:30-キャッサバをカットする。
2時間半後に作業を再開。まずは、キャッサバを潰していきます。さて、ここではMITのインストラクションに載っているような器具を使用しません。代わりに、包丁でキャッサバを細かく切って、木の枝で潰すことにします。しかし、写真の通り、上手くキャッサバをクラッシュすることができません。
16:00-Charcoalを潰す
まずは、ドラム缶の中の炭を潰す作業。農作物用の大きい袋に炭を移し、足で踏んで炭を潰していきます。炭は予想以上に硬く、また足で炭を潰すたびに袋の網目から炭が霧状に出てきます。
16:30-Boiling waterにキャッサバを投入
炭を潰している間に沸騰させた水に、潰したキャッサバを混ぜていきます。かき混ぜること20分段々とドロっとしてきました。しかし、なかなかインストラクションにある絵のように粘つきません。ちなみに水の分量は目算です。なので、どこまで正確か分かりません。30分経過しても変わりがないのでこれを使用することにします。
17:00-Charcoalとキャッサバの液体を混ぜる
いよいよ最終段階です。炭とキャッサバで作った粘着性の液体を混ぜていきます。
17:10-炭を固める。
さて、ここでもMITのインストラクションに載っているような炭を固める器具は使用しません。代わりに、鉄のカップに炭を詰めて形を作ります。
17:20-完成
炭を鉄のカップから取り出し完成です。9時30分から初めて17時20分に終了したということで約8時間掛ったということになります。
【12月11日】
11月27日に完成した炭の効果を試す時が来ました。写真の通り、11月27日に完成した炭と比較して細かくなっていることが分かります。これは乾燥した後に粘着力が弱いことからバラバラになったと考えられます。また、触ると分かりますが、非常に脆いです。次に、実際に火を付けて様子を見てみます。火が付きやすいように少しKeroseneを垂らし火を付けます。火が付いてから20分後、火が消えてしまいました。Agnetta曰く、普通の炭と比較してこの炭は火力も弱く、火の持ち時間も短く、そして煙も大量に発生するそうです。
【考察】
今回のトライアルは失敗の良い例だと思います。普通の炭と比較して、火力が弱く、火の持ち時間が短いのは炭が小さくとても脆いからです。この原因は、炭を接着するボンドが弱く、炭が固まっていないからです。前者に関して、キャッサバをすり潰す器具を用いなかったため、その液体がボンドとして役割を効果的に果たさなかったと考えられます。後者に関しても、Charcoal press器を用いなかったため上手く炭が固まらず、乾燥したらバラバラになったと考えれます。ということで、今回の低コスト化した部分は何らかの手段を持って解決しなければならない事が分かりました。次回は、上記の2点を解決していきます。
以下が、このトライアルの写真の一覧です。
http://picasaweb.google.com/max622max/CharcoalProject1?authkey=Gv1sRgCPT3yqy4rIbtHA&feat=directlink